from 佐藤
錦織圭選手が現役生活に幕を下ろしました。
プロ生活19年。世界ランキング4位。
もちろん、その実績は凄いことです。
でも、僕にとって錦織圭選手は
結果や数字だけで語れる選手ではありません。
きっと、ジュニア時代から知っている人にとっては
小学生の頃からずっと気になる存在で
想像を超えるプレーや結果を
何度も見せてくれた選手です。
そして、日本のテニスコーチの常識を
何度も覆してくれた存在でもあります。
僕も、その一人です。
■初めて彼の存在を知ったのは小学5年生
僕が錦織圭選手の存在を知ったのは
彼が小学5年生の時でした。
鳥取にいる知り合いのコーチから
話を聞いたのがきっかけです。
その後、いくつかの縁が重なり
彼が小学6年生の時に全国大会で同じホテルになりました。
当時、僕が引率していた選手と
錦織選手が友達だったこと。
そして、錦織選手の親と
当時のボスが知り合いだったこともあり
大会期間中、ホテルから会場までの往復を
僕の車で何度か送迎することになりました。
今思えば、なかなか貴重な経験です。
その時のことで、今でも印象に残っている会話があります。
■「面白くなかった」
ある試合で、錦織選手が初戦を
6-0、6-0で勝ちました。
普通なら、快勝して
気持ちよく帰ってくるところです。
そこで、試合について聞いてみました。
返ってきた言葉は
「面白くなかった」
どうして?と聞くと
「競っている時が一番楽しい」
という答えでした。
普通なら、楽に勝てたことを
喜んでもおかしくありません。
でも、彼にとっては、相手と競り合い
難しい状況を乗り越えることこそが楽しかったのでしょう。
今振り返ると、彼の勝負強さの原点を
垣間見たような気がします。
ファイナルセットまでもつれた試合での強さも
こうした考え方と無関係ではないのかもしれません。
その後、僕は錦織選手と会う機会がありませんでした。
気が付けば、ジュニアグランドスラムで優勝し
プロになり、世界のトップ選手へと成長していました。
■当時のクラブで、凄い選手たちに出会えた
錦織選手がウィンブルドンに初出場した時には
当時のボスが招待され、トレーナーとしてサポートに行っていました。
その時のお土産に
サイン入りのTシャツをもらったのですが……
どこかにいってしまいました。
今となっては
もったいないことをしたなと思います。
当時のテニスクラブでの10年間を振り返ると
錦織選手だけでなく、本当に多くの選手と関わる機会がありました。
ダニエル太郎選手は
当時のクラブで指導していました。
伊藤竜馬選手は
時々、外部から練習に参加していました。
西岡良仁選手は
僕たちが運営していた大会に参加していました。
近藤大生選手や添田豪選手は
トレーニングに来ていました。
今、日本のテニス界を支えてきた選手たちと
ジュニア時代に関わることができたのは
本当に幸運だったと思います。
そして、改めて感じるのは
当時のボスの人を引き寄せる力です。
優れた選手や人材が集まる環境をつくることができる。
そんなボスのもとで10年間指導できたことは
僕にとって大きな財産です。
また、そういう人に師事することができた
自分の見る目も良かったのかなと思っています。
■彼らが日本のテニス界に与えた影響
もう20年以上前のことなので
僕のことは覚えていないでしょう。
でも、僕が今でも彼らのことを覚えているように
少しでも彼らと関わった人たちは
何かしらの影響を受けているはずです。
特に錦織選手は、日本人選手が
世界のトップで戦う姿を見せてくれました。
世界の舞台で活躍することが
夢物語ではないと感じさせてくれた選手です。
彼の活躍によって
テニスを始めた子どもたちもいるでしょうし
世界を目指すようになった
ジュニア選手もいると思います。
そして、僕たち指導者にとっても
大きな刺激になりました。
日本のジュニア選手が
どこまで成長できるのか。
どんな可能性を秘めているのか。
それを何度も見せてくれた存在です。
そう考えると
彼らが日本のテニス界に与えてきた影響は
本当に大きなものだと思います。
■錦織圭選手への勝手に感謝
錦織圭選手は
僕たち指導者にも、ジュニア選手たちにも
テニスの楽しさと可能性を見せてくれました。
小学6年生の頃に聞いた
「競っている時が一番楽しい」という言葉。
あの時の少年が、世界のトップで戦い
数々の名勝負を見せてくれたことを思うと
改めて凄い選手だったなと思います。
そして、僕自身も、ジュニア時代の彼らと
関わることができた環境に感謝しています。
錦織圭選手。
たくさんの感動と
テニスの新しい可能性を見せてくれて
ありがとうございました。
勝手ながら
ジュニア時代に少し関わらせてもらった一人として
感謝を伝えたいと思います。
本当にお疲れ様でした!