【丸谷】おっさんがアイスを舐めながら気づいた「痛い勘違い」の話し。

ユニークスタイルの丸谷です。 
 

丸谷 自分には出来ない。

自分にはセンスがない。

自分はあの人よりも遅れている。

自分には知識や技術がない。

人には、様々なコンプレックスがあり 僕も無数のコンプレックスを、反骨精神のバネとして生きてきた。
そんな現実…

「受け入れたくねー。」
そう思いながら、

「マルちゃん、出来るよ~」「まるちゃんなら、大丈夫」

誰も言ってくれないから、1人で自分で
いいきかせて人生を突っ走ってきた(笑)

が、しかし。

佐藤卓也さんという、「受け入れの名人」と出会い、やたらと「受け入れる」ということを口にする姿を見て
なんとなく自分も「受け入れる」ということに興味を持ち三十路にしてやっとやってみよう、という風に思った今日この頃。

とにかく一度話しを聞いてみる。
ソレをやってみる。
まずは解釈なしで、そのことを自分の中に吸収してみる。
…受け入れるとは、そういうことだ!と思い、この1年くらい、自分なりに意識してきた。

が、その方法が間違っていることに先週サーティーワンのアイスを食べながら気づいた。

「受け入れる」といっても色んな種類がある。
「受け入れる」という人と、「受け入れない」人もいれば「なんでも受け入れすぎてしんどくなる人」もいる。

佐藤さんがやっている「受け入れる」は、自分に必要なものを
必要な量や必要な分野、そして、処理できる範囲の「情報量」をコントロールしながらやっている。

結局、何でもかんでも受け入れるのではなく、何か自分の中で決まっている軸があり その軸に対して足りないモノや成長させたいスキルなどを自分でコントロールしている。
これって 
 


結構レベルの高い話だよね(汗) 
 


一方僕がやっていたのは、ただ何も考えずに「相手の話を聞いてみよう」
という行為で、そこにはただ「聞いてみる」というだけのスタンスで
何を聞きたいのか? 何を、どれだけ受け入れたいのか?ということが整理されていなかったことに気づいた。

きっと何でもかんでも受け入れて、キャパオーバーになり
言われた通り、聞いた通りにしないといけないと思いテンパる人は、こうなるのか~とも思った。

やっぱり、自分で考え、自分なりのアイディアをもち、自分なりの基準や
容量を知っていないと、何でもかんでも言いなり、受け入れという姿勢は一見、素直でいいように見えるが、結局自分で考えていない証拠でもあるのかもしれない。


っと、話しはそれたが、結局何が言いたいのかというと、
サーティワンでおっさん同士でアイスを食べながら、ひらめいた、という単純なオチがある話しをしたいのではなく

最初から佐藤さんに「受け入れる極意」を聞いた方が良かった、ということ。
自分の解釈で判断し、1年もの間、レベルの低い自己満足の「受け入れる修行」をやっているよりも
最初から「受け入れの極意」を聞いておけばもっと色んなものを吸収できたと思う。

そしてもう1つ気づいたこと。

何気なくやっていることでも
実はそれは他人からすれば非常に高度な事をやっていることがある。

それを「高度なことだ」と自分が認識していないとアウトプットする手順を簡素化してしまうことがある。

大人と子供でもそう。先輩と後輩でもそう。
アカデミーから育成にもそう。

経験と引き換えに培った「高度な技術」を誰かに伝える時に「伝わりやすくするために」 伝える側がもっと工夫をしなければ、これくらいは伝わっている、それはわかっているだろう仮説や解釈で動くので、本質とは違う方向にいく場合もある。伝えるって本当に難しい。
・・

サーティワンでは色んなことに気づける。もしかしたらパワースポットなのかもしれない。
おっさん同士、アイスをなめ合うのも悪くない(笑)

 
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2013年12月15日11:20 | 丸谷コーチ

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