【丸谷】下手くそ、だけが味わえるスポーツの醍醐味

From まだ疲れが残っている、エアコン大好き、丸谷より

丸谷 人事担当の後輩がこんな話をしていた。
最近、面接をしていても「○○大学中に…○○には自信がある」
とか、そういう話にピンとこなくなってきました。

「それよりも靴がきちんと揃えられているとか、
パンツの折り目がピシッとなっているとか、そんなさりげないことが
気になるんですよね。」

僕はユニーク以外の人事を担当していないので、人事の経験は少ないのですが
なんとなく、その感じわかります。

自分自身も同じような経験があるからです。

以前、東京に営業に行って「顔を洗って出直して来い」と言われたので
奈良までとんぼ返りして、ビオレで顔を洗って出直して、従業員が帰ったのを見計らい
夜中に会社前の雪かきをして、翌日、朝一番で社長をビオレ持参で出迎えました。

すると、えらく大きな仕事を頂くことができた、ということがありました。

振り返れば、大きな仕事をとった時には、実績や成功体験の多さとか、そんなこと
以上に、「そういうところ」を見られている気もしました。「そういうところ」とは、
今の子たちからいうと、古くて、ダサイと言われるようなことです。例えば

・挨拶をしなさい。

・最後まで諦めちゃダメ。

・仲間を大事にしよう。

・食べ物を粗末にしちゃダメ。

・コツコツ努力しよう。

・早寝早起きしよう!

実績も実力もない僕が、そこそこ上手く人生を送れていることは
「そういうことろが大事」だと、言い続けてくれた周囲の環境があったおかげです。

今の子供たちにすれば、古い、昭和の言葉に聞こえるかもしれませんが
結局、この言葉に救われて今の自分があるのだと気づくことができます。





その指摘は正しいかい?



今は、色んな経験を積み重ねてきて「ジュニアの戦績以上に大事なものがある」
と断言できますが、20代のバリバリ育成コーチしていた頃には
もしかしたらそう思わなかったのかもしれません。

今、改めて「戦績よりも、そういうところが大事」と言えることは、
自分自身の経験もそうですが、過去に指導に関わったジュニアも同じような局面で
大きなチャンスを手にしています。

だから僕は、合宿でも細かい指摘をいくつもしました。

大きな声で挨拶をすること
自分で考えて行動すること
食器を片付けること
チビの食事の世話をすること
食べ物で遊ばないこと
年下の荷物を持つこと
率先して後片付けをすること
アドバイスを自ら求めに行くこと
これらのアドバイスは、次の秋のジュニアの戦績には直結しませんが
将来大きなチャンスが来た時に、「そういうところ」で
判断される時にきっと役に立つと思うからです。



めんどくさいことは所作にする



いつか子供たちは競技テニスを終えて、大人になります。

子供の頃の成功体験をもとに、仕事をして、育児をして、親になっていきます。

大人になった時にいくら「チャンス」がきたところで、付け焼刃の行動ではうまくいきません。
相手が「わかる人」であればあるほど、自分の芯から出てくる
「そういうところ」が所作になっているかどうかがバレてしまいます。

ですから、実は県ジュニアや関西ジュニアなど、「戦績にウエイトがおいた視点」で
子供たちに細かい指摘をしている場合は
一旦、何が大事なことかを整理するといいかもしれません。

「礼儀礼節」や「筋」、「男らしさや女らしさ」「最後まで諦めない」など
ダル~、めんどうくさい~、と思われることを小さいころから
習慣づけることでそれを所作にすることができるからです。

合宿では、テニスコート以外に寝食を共にしながら、テニスという、子供たちが最も
「言うことを聞きやすいキーワード」を通じてそれらの所作をチェックしました。



ユニークを象徴する、中3たち。  



「テニスより、アスレチックを楽しんでいる。」

これは今のアカデミークラスの子供たちの4年前の合宿の光景です。

あの頃に振り返ると、4年前、週1回の習い事の1つとして始めたテニスが
今、これだけ子供たちの「大切なもの」になっているとは、想像していましたか?

今のアカデミークラスは、ユニークスタイルの歴史とも言えます。
エントリー強化も、チャレンジャー強化も、チャレンジャー選抜も
時代に合わせて作ってきました。

その時代を1から経験してきたのが今のアカデミークラスです。

だからこそ、僕は今回、中3全員の試合を最後まで見ました。
どんな風に成長したのか? これからどんな風に伸びていくのか
などを試合でのファイトを通じて見たかったのです。



自分より「できる奴」は星の数ほどいる。



よくテニスが思うような戦績を出せなかったら、勉強にシフトする
という意見も耳にしますが、それは感情的には理解できますが
選択としてはあまり正しくないと感じる経験がほどんどでした。

自分より上の人がいたら、その分野には見切りをつけて、違う分野にいくことは
それが大事なものであればあるほど、洋服のように簡単に変更はできないからです。

また「見切り」は弊害として、先ほど話した「そういうところ」が育ちません。

テニスにも上がいるように、勉強にも仕事にも、どの分野にしても
「自分よりもスキルや経験が上の人」がたくさんいるからです。

テニスを通じて学ぶことは、

「自分が難しい状況の中でも、自分がやる、と決めたら
最後まで努力して、自分なりの成果を手に入れること」です。


下手っぴ、だから手に入ったもの。



今のユニークスタイルの子供たちの98%は
ユニークスタイルでテニスを始めた子供たちです。

つまりテニス歴が最大で4年以下の子供たちになり
開始年齢が遅い子供たちがほとんどです。

彼らは最初からチャンピオンではなく、チャンピオンやシード選手を見上げる状態
からスタートした子供たちで「劣勢な状況からでも、夢中になり
目標に向かって努力することを楽しめる。」という特徴を持ちます。

そんな子供たちの高校生になってからの伸びしろが確認できたことも
嬉しかったですし、たのもしさ、たくましさ、泥臭ささ、負けん気、など戦績だけでは
見えない「そういうところ」が、「テニス歴が浅い不利な状況」があったお蔭で
育ってきたころも見れたのも嬉しかったです。

そういった姿を見ていると、幼少時代には、成功体験を積み重ねる続けることよりも
失敗を重ねて立ち上がることを経験させることのほうが
スポーツの意味は大きいのかもしれないとも感じました。

合宿中に何度も、
「食卓にただ座るだけで、上の子たちに食事の世話をしてもらっていた子たちが…」
と突っ込んでいましたが、4年たった今は、自分たちが
ちびっこの食事の世話をして、身の回りの準備をしてあげるという「そういうところ」が、
テニスが下手なアカデミー生が、ユニークスタイルで得た彼らの戦利品であるように思いました。

卒業生のアカデミー生がいたころも良いお見本でしたが、
今のアカデミー生もユニーク生を象徴する良いアカデミー生になったと思います。

彼らが一番上のクラスでいてくれることは、チームにとって幸せなことだと感じました。
2016年8月19日09:32 | 丸谷コーチ

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