●強くなる、試合に勝てるようになるために必要な事。
2013年5月29日
今週の土日、2カ月ぶり?くらいの代行レッスンをちょっと楽しみにしているユニークスタイルの丸谷です。
名門チーム三重GTCとの練習試合が終わり、次は名古屋のヤングスターかな?
遠征組、お疲れさん。そして受け入れてくれた三重GTCさん、ありがとうございます。
練習試合などでは、佐藤コーチは「失敗をする経験」の必要性について述べ
それに気づき、それを自動修正する力を期待する、ということを以前ブログで話していた。(あれっ?違う?)
今日は、僕なりの解釈です。
僕たちのチームは「失敗しながら少しづつ成長している」ということを時々ネタにします。 スマートな人からすれば、「失敗」? そんな回り道する必要ある?
無駄でしょ。
という意見もある。誰もが、「無駄」をなくして、最短ルートで進みたいと思う。
失敗や、無駄は大きなエネルギーを消費するから、誰でも避けたいと考えるのはいたって普通。
また自分ごとには冷静に捕えることが出来ても、我が子のことになると
当然、失敗させたくないと思ってしまうのが親心。 無駄は最小限にしたほうがいい。
無駄遣い。非効率な勉強法。
使いもしないものを買う。
それが「良くないこと」であることは誰でも知っている。
だけど世の中は無駄に溢れている。
美味いお酒や流行のファッション、最新のゲームなどもそう。
極端な話、なくてもいい。全く困らない。
にもかかわらず、私たちは”無駄“なものを取り入れるのには
その無駄なものが、「ドブにお金を捨てる」ものだとは考えていないからではないかと思う。
その無駄が何かの糧になることを感覚的に知っているし
それを楽しむセンスも持っている。 もしかしたら自分の甘さを許せるセンスなのかもしれない。
例えば1万円のテニスウェアを買ったとしよう。
テニスウェアがずっと1万円の価値を持ち続けるか?
というとそんなことはないし、1万円の価値があるような試合で活躍する
時に着ているか? ということも期待はできない。
そのウェアを着ることを楽しみにしている姿だったり
そのウェアを着て我が子が楽しそうにテニスをしている。
そんな光景をみて、気持ちが豊かになったり
心が心地よくなったりすることに価値を感じるのがセンスがある人だと思う。
また身近な例だと、高速代3000円、ガソリン代2000円
昼食代エントリー代などで1万円くらいかかっている試合に出場したとしよう。
仕事疲れで休みたい土日に、早朝早くに出発して、1万円かけて、しょぼい試合をして一回戦負け。 「おい、ほんまええがげんにしいや~」という事もあると思う。
わざわざ1万円もかけて来る価値はあったんか?という事で帰りの車の中でネチネチ話す。
これも先程の話と同じ「価値の問題」
勝つことに対しての1万円の価値を求めるからこそ、期待が裏切られるのであり
もしかしたらこの悔しさをきっかけに今後大きな変化をするかもしれない。
そう期待する事が出来れば、1万円の価値は出てくるし、その試合に向かって追い込んだ練習をしていたのであれば、その試合による効果・影響の価値も含めないといけない。
それらを読みとるセンスは、何に対価を求めることが出来るかの選択肢で
いくらでも価値を見出すことはできる。 無駄を作ってはいけない。
負けてはいけない。失敗はいけない。
と考え続けていると、勝負が出来なくなる。勝つ確率が100%の勝負など
獲るものも小さいし、そこには挑戦という経験値は得られない。
つまり「失敗」や「負け」を無駄だと考えていると
知らない間に「挑戦ができなくなり」結果的に勝負弱くなる。 強くなる、試合に勝てるようになるとは
無駄を受け入れる容量を増やす作業だったり、その無駄から前向きなエネルギーを
拾い上げるセンスのことを指すのかもしれない。
負けは「勝つため」に必要な授業料だし
失敗は「成功するため」に必要な授業料。
そう考えることが出来ると、目に見えないプラスのエネルギーが
集まってくる気がしないだろうか?
追伸
そろそろ、夏合宿の要項アップしないとと思っています。
夏の合宿は、オープン参加です。
いつもワンクリック、ありがとうございます!
名門チーム三重GTCとの練習試合が終わり、次は名古屋のヤングスターかな?
遠征組、お疲れさん。そして受け入れてくれた三重GTCさん、ありがとうございます。
練習試合などでは、佐藤コーチは「失敗をする経験」の必要性について述べ
それに気づき、それを自動修正する力を期待する、ということを以前ブログで話していた。(あれっ?違う?)
今日は、僕なりの解釈です。
僕たちのチームは「失敗しながら少しづつ成長している」ということを時々ネタにします。 スマートな人からすれば、「失敗」? そんな回り道する必要ある?
無駄でしょ。
という意見もある。誰もが、「無駄」をなくして、最短ルートで進みたいと思う。
失敗や、無駄は大きなエネルギーを消費するから、誰でも避けたいと考えるのはいたって普通。
また自分ごとには冷静に捕えることが出来ても、我が子のことになると
当然、失敗させたくないと思ってしまうのが親心。 無駄は最小限にしたほうがいい。
無駄遣い。非効率な勉強法。
使いもしないものを買う。
それが「良くないこと」であることは誰でも知っている。
だけど世の中は無駄に溢れている。
美味いお酒や流行のファッション、最新のゲームなどもそう。
極端な話、なくてもいい。全く困らない。
にもかかわらず、私たちは”無駄“なものを取り入れるのには
その無駄なものが、「ドブにお金を捨てる」ものだとは考えていないからではないかと思う。
その無駄が何かの糧になることを感覚的に知っているし
それを楽しむセンスも持っている。 もしかしたら自分の甘さを許せるセンスなのかもしれない。
例えば1万円のテニスウェアを買ったとしよう。
テニスウェアがずっと1万円の価値を持ち続けるか?
というとそんなことはないし、1万円の価値があるような試合で活躍する
時に着ているか? ということも期待はできない。
そのウェアを着ることを楽しみにしている姿だったり
そのウェアを着て我が子が楽しそうにテニスをしている。
そんな光景をみて、気持ちが豊かになったり
心が心地よくなったりすることに価値を感じるのがセンスがある人だと思う。
また身近な例だと、高速代3000円、ガソリン代2000円
昼食代エントリー代などで1万円くらいかかっている試合に出場したとしよう。
仕事疲れで休みたい土日に、早朝早くに出発して、1万円かけて、しょぼい試合をして一回戦負け。 「おい、ほんまええがげんにしいや~」という事もあると思う。
わざわざ1万円もかけて来る価値はあったんか?という事で帰りの車の中でネチネチ話す。
これも先程の話と同じ「価値の問題」
勝つことに対しての1万円の価値を求めるからこそ、期待が裏切られるのであり
もしかしたらこの悔しさをきっかけに今後大きな変化をするかもしれない。
そう期待する事が出来れば、1万円の価値は出てくるし、その試合に向かって追い込んだ練習をしていたのであれば、その試合による効果・影響の価値も含めないといけない。
それらを読みとるセンスは、何に対価を求めることが出来るかの選択肢で
いくらでも価値を見出すことはできる。 無駄を作ってはいけない。
負けてはいけない。失敗はいけない。
と考え続けていると、勝負が出来なくなる。勝つ確率が100%の勝負など
獲るものも小さいし、そこには挑戦という経験値は得られない。
つまり「失敗」や「負け」を無駄だと考えていると
知らない間に「挑戦ができなくなり」結果的に勝負弱くなる。 強くなる、試合に勝てるようになるとは
無駄を受け入れる容量を増やす作業だったり、その無駄から前向きなエネルギーを
拾い上げるセンスのことを指すのかもしれない。
負けは「勝つため」に必要な授業料だし
失敗は「成功するため」に必要な授業料。
そう考えることが出来ると、目に見えないプラスのエネルギーが
集まってくる気がしないだろうか?
追伸
そろそろ、夏合宿の要項アップしないとと思っています。
夏の合宿は、オープン参加です。
いつもワンクリック、ありがとうございます!
08:58 | 丸谷コーチ |