【大久保:メルマガ】知らず知らずのうちに、子どもたちの規範意識を損なっている危険性。

こんにちは。
ソフトテニスチームの大久保 幸一です。

大久保幸一顔写真修正 家庭の教育力の低下という言葉が盛んに使われ初めて、
すでに20年以上の年月が流れているように思います。

その間、家庭の教育力はどうなってきたのか?
教育現場から保護者はどう見えているのか?
できるだけ忌憚のない意見を述べてみようと考えます。

価値観の多様化と言われて久しいと思います。
僕は、価値観が様々な変化に富み、一様でない事は、
決して悪いことではないと思います。

むしろ科学の発達や、民主主義の熟成に伴う当然の現象だと考えます。

しかし、様々に思想や信条の違いはあっても、
最低限の規範意識は持たなければならない事は当然です。

保護者として、少なくともこれだけは子どもたちの
成長のためにやらなければならないことはあると思います。

僕は、拙書の中でも、「子育て」という言葉より『子育ち』
という意識の大切さを訴えてきました。(子育ち頭の体操を
参照頂くと幸いです。)しかし、保護者自身の人間的成長も含め、考えてもらいたい事もあるわけです。

自らのマナー、道徳心、自制心・・・を問い返してほしいと願うのです。
公共の場での行動、子どもたちはよく見ています。
ゴミのポイ捨て、車を運転しながらの携帯電話、
参観授業中のおしゃべり・携帯メール、いかにもイライラした態度での子どもへのどなりつけ・・・・

知らず知らずのうちに、子どもたちの規範意識を損なっています。
ここ数年、定例の家庭訪問の最中テレビを
付けっぱなしの保護者が急増しています。
給食費の未払いも一向に減る気配はありません。

また、欠席連絡を学校にせず、学校の方から
連絡を入れ確認をする家庭も増えています。

学校からの大事な連絡を、プリントや連絡帳に加えて、
一斉メールで知らせるシステムが増えているにもかかわらず、
「家で連絡帳をちゃんと見せるよう、学校でちゃんと
しつけてくれ。」と言ってはばからない方も少なくありません。

保護者の教育力、しつけの仕方にも日本の教師は心をくだき、
アドバイスを送ってきた素晴らしい歴史があります。
しかし、ぼちぼち限界に来ていることも、まちがいのない所です。

子育ちの魔法なんてありやしません。しかしながら・・・。

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