●教育とは? アインシュタインの名言
2012年8月23日
過酷な合宿を終えて、なぜか1.7キロ増えていた、
本当にやるせない気持ちのユニークスタイルの丸谷です。
教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、 自分の中に残るものをいう。
そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
自ら考え行動できる人間をつくること。それが教育の目的といえよう。
(アルベルト・アインシュタイン)
・・
きっと昨日は子供が疲れていて、あまりじっくりと
話が聞けなかったご家庭も多いのではないでしょうか?
合宿が終わった翌日の今日。
子供たちは何を語ってくれるのかと、きっとワクワクしながら待っていることでしょう。
でもね、親が思っているほど、色々話してくれない。
子供たちが話したいことと、親が聞きたいことは違う。
そんなこと、ありますよね。
例えば、親は合宿での試合結果や技術的な改善を期待し、生活面では
ご飯をしっかりと食べた、規律のある行動ができたなど、子供の成長を確認したい。
どこかそんな「報告」を期待してしまいます。
そりゃそうですよね。高いお金を出して行かせてるんですから。
でも子供が話すことといえば、
お風呂で○○ちゃんがね・・
夜の部屋で○○くんがさ~
花火の時にね、○○ちゃんと一緒に・・
という、「他愛もないこと」が多いと思います。
それを聞くと、この子は合宿行く前と、行ったあとで何も変わっていない
と思うかもしれません。
そんな風に思えたときは、こんな質問をしてみてください。
合宿の魅力とは、よかった、悪かったとかそういった次元を超えたというか
それとは比べられない別のところにあると思っています。
「また行きたい」「楽しかった」「行ってよかった」という言葉の裏には
はっきりとした理由がない「魅力」があるのだと思います。
その魅力というものは、簡単に言えば、どの子にも自分なりに感じた
「成長感」が魅力につながっているのだと思います。 大人でも思い当たるフシがあるかもしれません。
自分自身が何らかの成長の実感がないときには、
魅力を感じるということは、まずないのだと思います。
どんなに低いところからの出発であっても、とにかく
自分が成長している、何かを掴んでいるという実感がない限りは、つまらないのだと思います。 だからこそ、もし子供が「引き続きやりたい」と思っているのであれば
そこには「成長ができる場所」という意味であり、子供は何かしら「受け取った」のだと思います。
佐藤コーチや僕たちスタッフが大事にしていたことは
強制させて縛ることではなく、合宿でしか学べないことを「感じてもらうこと」にあります。
だからこそ、子供たちが「○○ができるようになった」「○○が出来た!」という
コーチや仲間がそこにいるからできる、その合宿だけの行動で終わるようなことよりも、
自分が感じて、自分の決意や意識が高まり、その後
じんわり効果を出してくれるようなものであってほしいと思います。
・・
アインシュタインが言いました。
教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、 自分の中に残るものをいう。
そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
自ら考え行動できる人間をつくること。それが教育の目的といえよう。
本当にやるせない気持ちのユニークスタイルの丸谷です。
教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、 自分の中に残るものをいう。
そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
自ら考え行動できる人間をつくること。それが教育の目的といえよう。
(アルベルト・アインシュタイン)
・・
きっと昨日は子供が疲れていて、あまりじっくりと
話が聞けなかったご家庭も多いのではないでしょうか?
合宿が終わった翌日の今日。
子供たちは何を語ってくれるのかと、きっとワクワクしながら待っていることでしょう。
でもね、親が思っているほど、色々話してくれない。
子供たちが話したいことと、親が聞きたいことは違う。
そんなこと、ありますよね。
例えば、親は合宿での試合結果や技術的な改善を期待し、生活面では
ご飯をしっかりと食べた、規律のある行動ができたなど、子供の成長を確認したい。
どこかそんな「報告」を期待してしまいます。
そりゃそうですよね。高いお金を出して行かせてるんですから。
でも子供が話すことといえば、
お風呂で○○ちゃんがね・・
夜の部屋で○○くんがさ~
花火の時にね、○○ちゃんと一緒に・・
という、「他愛もないこと」が多いと思います。
それを聞くと、この子は合宿行く前と、行ったあとで何も変わっていない
と思うかもしれません。
そんな風に思えたときは、こんな質問をしてみてください。
「合宿、また行きたい?」
この質問に子供がどんな風に答えるのか、ここに注目してください。合宿の魅力とは、よかった、悪かったとかそういった次元を超えたというか
それとは比べられない別のところにあると思っています。
「また行きたい」「楽しかった」「行ってよかった」という言葉の裏には
はっきりとした理由がない「魅力」があるのだと思います。
その魅力というものは、簡単に言えば、どの子にも自分なりに感じた
「成長感」が魅力につながっているのだと思います。 大人でも思い当たるフシがあるかもしれません。
自分自身が何らかの成長の実感がないときには、
魅力を感じるということは、まずないのだと思います。
どんなに低いところからの出発であっても、とにかく
自分が成長している、何かを掴んでいるという実感がない限りは、つまらないのだと思います。 だからこそ、もし子供が「引き続きやりたい」と思っているのであれば
そこには「成長ができる場所」という意味であり、子供は何かしら「受け取った」のだと思います。
佐藤コーチや僕たちスタッフが大事にしていたことは
強制させて縛ることではなく、合宿でしか学べないことを「感じてもらうこと」にあります。
だからこそ、子供たちが「○○ができるようになった」「○○が出来た!」という
コーチや仲間がそこにいるからできる、その合宿だけの行動で終わるようなことよりも、
自分が感じて、自分の決意や意識が高まり、その後
じんわり効果を出してくれるようなものであってほしいと思います。
・・
アインシュタインが言いました。
教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、 自分の中に残るものをいう。
そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、
自ら考え行動できる人間をつくること。それが教育の目的といえよう。
2012年8月23日19:15 | 合宿・遠征