【丸谷】子供の可能性と挑戦する意味、目的などなど
2013年10月27日
From 久しぶりの丸谷
月曜日は塾、火曜日はスイミング、水曜日はピアノ。あれもコレも出来る。
そんなマルチな子供が増えています。
その半面「自分に自信が持てない」と精神的に悩む子供も増えているのも事実です。
「小学生の間に色んな経験をさせて
本当に自分が没頭するものを見つけて欲しい」
と考え、小学生の間から色んな習い事をやることが多いですが僕の経験上は、いろんな経験が多い「マルチ型」の子供ほど
中学生になっても「本当にやりたいこと」が見つかっていないというケースも多いような印象を持っています。
「いやいや、ウチの子はある程度なんでも熱中してやってますよ~」
と言われる方も多いのですが、例えば野球を熱中してやっていた、でも中学になればあれほど熱中していた
野球をアッサリとやめる。また違うものへ。その場面ではある程度、熱中しても、それが継続しない。
飽きてしまう… つまり本当に「何が何でも熱中するもの」と出会えていない、というケース含みます。
こう考えると、「この子には○○がある!」
といえる「深く何かに対して向き合った経験」を持っている子はとても少人数派ではないでしょうか?
逆に小さい頃からスポーツや音楽、特定のことに没頭した小学生のほうが、視野や経験はどうしても偏りますが
中学生や高校生でもイキイキとした生活を送っているような気がします。
その経験をもとに、大人になっても自分に自身を持ち仕事もバリバリこなしている成功者が多いような気がします。
では「熱中できるもの」はどれだけの間そのことだけ考え、「深く熱中できる」のでしょうか?
僕は、何も考えず、「熱中できるもの」にだけ取り組めるのは最大でも中学2年生の終わりまでだと思います。
今、小学6年生であれば、あと3年。
小学5年生であれば、あと4年。
小学4年生であれば、あと5年。
この限られた時間の中でどれだけ深く「熱中できるもの」に打ち込み、そこで自分を磨き、自信をつけることができるのか?
そこがひとつの人格形成のターニングポイントであると思います。
今回県ジュニアに初めて出場した、また今回U10奈良県サーキットにエントリーしたジュニアの多くは
テニス歴や経験から考えると、もともと「困難な状況」であります。
ですが、その上で挑戦したり未知なるものに対して「前向きに行動した」子どもたちです。
何事も消極的、特に興味もなく、親でさえ「この子は何を考えているのかわからない」と言われるような 「新しい時代の子どもたち」の中で自らの意識を示し、試合に出場するという意志を示したことだけでも 「値打ち」あることだと思います。
だからこそ、不特定多数のことに興味を持っていた子供が「少しでも特定のものに興味を示した機会」は
深く、自分への自信を深めるチャンスだと思います。
時間はあっという間に過ぎていきます。あっという間にアイディンティティは形成されます。
その前に「興味を持っていること」をとことん挑戦させてあげてほしいと思います。
中には「この気持ちが本物かわからない。そのために他の物を捨てるリスクは高すぎる。」
と思われる方もいると思いますがそんな時は、今のお稽古事の中での消去法で考えてもいいと思います。
正直なところ、その気持ちが本物かどうか、継続して今の気持ちを持ち続けるかどうかは誰にもわからないかと思います。
ただ、わかっていることは何も考えずにただシンプルに物事に打ち込める時期は「あっという間に終わる」という事です。
僕は、挑戦するという特徴を強く持っている子はたとえテニス以外の困難な問題に出会っても それに対して果敢に挑戦できることだと思います。 さらに言えば、そういった困難に立ち向かわされた場合でもその困難を自分が成長できるよい機会であると 捉えることができるように、仕向けていくのがテニスの試合に出場した意味ではないかと思います。
自分に自信を持てる、そんな子供になってほしい。
どの親でもそのように願いしますが「自信」とは、そういった「何かをやり遂げた経験」や
「打ち込んだ時間」「成功した経験」によって少しづつ形成されていくものだと思います。
だからこそ、子どもたちの試合を通じて起きる感情の波に「挑戦し続ける」という、身につけて欲しい要素を
織り交ぜていきたいと思います。
挑戦するという特徴を強く持っている子はどんな困難に立ち向かわされた場合でも
その困難を自分が成長できるよい機会である、と捉えることができるようになってきます。
そうすれば、その子は間違いなく自分の人生を前向きに そして楽しく生きることができる人となると思うからです。 だからこそ、子供が「自ら求めた機会」は深く、自分への自信を深めるチャンスだと思います。
追伸1
子どもは知的好奇心や冒険心が高いです。その一方で、自信を失いやすい「もろさ」もあります。
現実をきちんと受け入れ、それでもなお、「また挑戦したい!」を内在化していけるような援助が求められます。
やり抜いた後のフォローを丁寧に行うことが何よりも大切です。
追伸2
テニスの中での勝負ごとを通じての成功とは、単にライバルに勝った負けた、あの人に勝ったなどの
話は「自分への自信をもたせる」ための通過点でしかありません。
その本質を見ていないと、目先のスコアで我が子の可能性を
狭めたり、小さな結果に、常に右往左往してしまい、試合のたびに気持ちが疲弊してしまう、そんなこともあると思います。
時には惨めなスコアであれば、
なんだか時間やお金を投資したことが無駄に思えてくるときもあると思います。
そんな時は決まって「トンネルビジョン」に陥っています。
視野が閉ざされ、1つの出口しか見えていない状態なのかもしれません。
そんな時は、今一度、何を得たいのか。
何の目的でテニスをさせているのか?
時には一番近くにいている大人が 「テニスによって得られるベネフィット(恩恵)」を整理して見るのもいいと思います。
ちなみに「試合に勝つために一生懸命練習をしている」というのは
ベネフィットではありません。「一生懸命練習して、根性を磨く」というのもベネフィットではありません。
ベネフィットとはその先にある世界や広がる景色を指します。
子どもたちにどんな景色や世界を見てもらいたいのか?どんな風になって欲しいのか?
それらを見つめなおせるだけでも、試合という感情が動く 勝負の場面は、「値打ちがある」ことだと思います。