【丸谷】勉強やらない人は、スポーツで結果を残せない、という中学生にはウゼェ話。
2013年12月8日
ユニークスタイルの丸谷です。
もし、自分の子に100 %●●な才能があると
分かっていたら、あなたはどうしますか?
多分、その才能を伸ばしてあげると思います。
子どもは、その才能を持って生まれてくるのです。
そして、親の思い、言葉の一つ等で、子どもは才能を伸ばしていきます。
周囲の大人の言葉がけ、で自由自在に変化します。
勉強が苦手、というレッテルを張ると
「子供は勉強が苦手」だと感じ「自分には勉強の才能がない」思います。
じゃあ、私はテニスを頑張る。
となりやすいのですが、残念ながら
勉強が出来ない人は、テニスも思うような結果を残せない。
という方程式が僕の経験ではあります。
(あくまで僕の解釈です)
その理由は、勉強はテニスに比べて簡単だからです。
勉強は完全に、自分の自助努力によって「結果」が出るからです。
なぜならば、やったらやった分だけ確実に100点に近づき 100点という明確なゴールがあるのです。
テニスは違います。いくら自分が100%努力しても
相手が120%であれば、負けてしまいます。
そして自分が30%しか出せていなくても、相手の経験が浅いと勝ってしまいます。
自分が出来てないにも関わらず、あたかも「成功した」かのような錯覚に陥りやすい。
これを積み重ねていくと 「自己評価が甘くなりやすい」のです。
テストの点のように、自分がやった分だけ
そのまま結果に反映する「厳しい」中での経験での成功から
いつまでも逃げ続けることになります。
何から逃げるの?というと
「自分は得意なこと、興味のある事を伸ばす」と言いながら
ただ「自分は苦手な事に向き合わない」という現実から逃げるためです。
せっかくテニスを通じて色んな経験をしています。
ある意味、一番大事な
「自分は苦手な事とも向き合える」チャンスを
逃すのはもったいないと思います。
また「勉強が出来ない人」は「サービスが下手」という共通点も多くある気がします。
サービスは100%自分の努力がそのまま反映するショットであり
相手に左右されず、必ず「ゼロ」の状態からスタートします。
しかしそれ以外のテニスのショットに関しては、最初から「マイナス」の
状態からスタートする場合があります。そのため相手によっては
自分の努力が正確に測定できない可能性があります。
だからこそ、「0-6で負けた」=がんばれなかった。
という安易な結論に至るのも危険だということです。
しかしサービスがいつまでも上手にならない。真剣に練習に取り組まない。
という人は、宿題の練習ドリルをやらない、という部分に
共通しているのかもしれません。
そういう意味では、やはり勉強とスポーツとの関係性は大きく
スポーツでの成功例を、勉強にも当てはめることが出来るチャンスなのです。
君だよ、君。
ちっ、なんだよ。「うぜェ」な。
と思ったかもしれない。学校でも家でもコートでも
「同じこと言うなよ。うぜェ。」
と思ったかもしれない。
そう。君の言うとおり。大正解。
そんな共通して「うぜェ」ことが君が知らない世の中。
残念だが、それが君たちが憧れる「大人の世界」
君たちは、お母さんのすねをかじっている
テニスで例えると、まだ「試合にも出たことがないような子供」だからわからない。
だけど先生や親やコーチ達は「そのうぜェ世界」で
やってるバリバリやってる選手。
その選手が「うぜェ世界」で勝ちぬくための方法を
君たちに一生懸命教えている。
身に覚えがある人は、聞きなさい。
勉強を避けている自分を認めている、自己評価の甘い人は 必ず、テニスも限界が来る。
なぜならば、「自分に甘い」からだ。
あーだ、こーだ言いながら 「やっていない自分」を誤魔化し続けているからだ。
この先も、自分の苦手から逃げ続けるのか。
それとも、自分の苦手分野でも成功体験を積むのか?
それを選んでいるのも、結局「自分」なのだ。
どうだろう?
耳が痛いだろう?
もう一度言う。
どっちの人生を歩むのか?
テニスも出来て、勉強も出来る人。
自分に自信があり、堂々と成功体験をつんでいける人。
テニスは出来るが、勉強はいつも出来ないキャラ
で自分の得意分野でしか勝負ができない人。
どっちを歩みたい?
「100点を取れ」という話しではない。
ただ、テニスと同様に一度でもいい。
真剣に勉強をしてみろ。
そして少しでも「点数が上がった」成功体験を持って
苦手な事を少しづつ克服していく自分に自信を持てばいい。
一度、本気で勉強してみろ。
一度、本気で宿題をしてみろ。
一度、本気で自分の苦手と向き合ってみろ。
必ずその自信はテニスにも影響するから。
追伸
この耳が痛い「うぜェ」記事をテストの前に読みなさい。
忘年会、10日締切です!
もし、自分の子に100 %●●な才能があると
分かっていたら、あなたはどうしますか?
多分、その才能を伸ばしてあげると思います。
子どもは、その才能を持って生まれてくるのです。
そして、親の思い、言葉の一つ等で、子どもは才能を伸ばしていきます。
周囲の大人の言葉がけ、で自由自在に変化します。
勉強が苦手、というレッテルを張ると
「子供は勉強が苦手」だと感じ「自分には勉強の才能がない」思います。
じゃあ、私はテニスを頑張る。
となりやすいのですが、残念ながら
勉強が出来ない人は、テニスも思うような結果を残せない。
という方程式が僕の経験ではあります。
(あくまで僕の解釈です)
その理由は、勉強はテニスに比べて簡単だからです。
勉強は完全に、自分の自助努力によって「結果」が出るからです。
なぜならば、やったらやった分だけ確実に100点に近づき 100点という明確なゴールがあるのです。
テニスは違います。いくら自分が100%努力しても
相手が120%であれば、負けてしまいます。
そして自分が30%しか出せていなくても、相手の経験が浅いと勝ってしまいます。
自分が出来てないにも関わらず、あたかも「成功した」かのような錯覚に陥りやすい。
これを積み重ねていくと 「自己評価が甘くなりやすい」のです。
テストの点のように、自分がやった分だけ
そのまま結果に反映する「厳しい」中での経験での成功から
いつまでも逃げ続けることになります。
何から逃げるの?というと
「自分は得意なこと、興味のある事を伸ばす」と言いながら
ただ「自分は苦手な事に向き合わない」という現実から逃げるためです。
せっかくテニスを通じて色んな経験をしています。
ある意味、一番大事な
「自分は苦手な事とも向き合える」チャンスを
逃すのはもったいないと思います。
また「勉強が出来ない人」は「サービスが下手」という共通点も多くある気がします。
サービスは100%自分の努力がそのまま反映するショットであり
相手に左右されず、必ず「ゼロ」の状態からスタートします。
しかしそれ以外のテニスのショットに関しては、最初から「マイナス」の
状態からスタートする場合があります。そのため相手によっては
自分の努力が正確に測定できない可能性があります。
だからこそ、「0-6で負けた」=がんばれなかった。
という安易な結論に至るのも危険だということです。
しかしサービスがいつまでも上手にならない。真剣に練習に取り組まない。
という人は、宿題の練習ドリルをやらない、という部分に
共通しているのかもしれません。
そういう意味では、やはり勉強とスポーツとの関係性は大きく
スポーツでの成功例を、勉強にも当てはめることが出来るチャンスなのです。
————— 以下は「子供むけ」のため言葉が乱暴になります。ご注意を ————————————–
君だよ、君。
ちっ、なんだよ。「うぜェ」な。
と思ったかもしれない。学校でも家でもコートでも
「同じこと言うなよ。うぜェ。」
と思ったかもしれない。
そう。君の言うとおり。大正解。
「世の中は、うぜェ」
そんな共通して「うぜェ」ことが君が知らない世の中。
残念だが、それが君たちが憧れる「大人の世界」
君たちは、お母さんのすねをかじっている
テニスで例えると、まだ「試合にも出たことがないような子供」だからわからない。
だけど先生や親やコーチ達は「そのうぜェ世界」で
やってるバリバリやってる選手。
その選手が「うぜェ世界」で勝ちぬくための方法を
君たちに一生懸命教えている。
身に覚えがある人は、聞きなさい。
勉強を避けている自分を認めている、自己評価の甘い人は 必ず、テニスも限界が来る。
なぜならば、「自分に甘い」からだ。
あーだ、こーだ言いながら 「やっていない自分」を誤魔化し続けているからだ。
この先も、自分の苦手から逃げ続けるのか。
それとも、自分の苦手分野でも成功体験を積むのか?
それを選んでいるのも、結局「自分」なのだ。
どうだろう?
耳が痛いだろう?
もう一度言う。
どっちの人生を歩むのか?
テニスも出来て、勉強も出来る人。
自分に自信があり、堂々と成功体験をつんでいける人。
テニスは出来るが、勉強はいつも出来ないキャラ
で自分の得意分野でしか勝負ができない人。
どっちを歩みたい?
「100点を取れ」という話しではない。
ただ、テニスと同様に一度でもいい。
真剣に勉強をしてみろ。
そして少しでも「点数が上がった」成功体験を持って
苦手な事を少しづつ克服していく自分に自信を持てばいい。
一度、本気で勉強してみろ。
一度、本気で宿題をしてみろ。
一度、本気で自分の苦手と向き合ってみろ。
必ずその自信はテニスにも影響するから。
追伸
この耳が痛い「うぜェ」記事をテストの前に読みなさい。
忘年会、10日締切です!