【丸谷】僕が潰してきた数々の選手たち。16才の少年が130万円をかけた試合の結果は…?
2013年11月10日
ユニークスタイルの丸谷です。
「なんでこんなに諦めるのが早いのか…?」
「食らいついてやる、という気持ちがないのか…?」
と心の中で30回以上つぶやいたことがある方には、ちょっと聞いて欲しい。
僕が失敗してきたことを。
「特にウチの子は、メンタルが弱い。あと一歩の競り合った場面で諦める… 途上国の子のように、この恵まれた環境の中でハングリー精神はどうやったら持てるんだろう?」
という会話が時おり聞かれるが、僕はこの意見に真っ向から異議を唱える。
なぜならば僕は青春の真っただ中、21歳から23歳までを
世界最貧国といわれるバングラデシュにいたからだ。
青年海外協力隊のテニス隊員として派遣された僕が
赴任したのは国立スポーツ学院。日本でいうナショナルトレーニングセンター。
経験の浅く右も左もわからない僕がナショナルチームのお手伝いからスタートした。
そこからせっせと下積みを行い、最後は運良くジュニアデビスカップのコーチとして選出してもらった。
そこでの選考会での出来事。
鼻息フンフン、ハリキリボーイの僕。
当然自分が指導する選手は勝ってほしい。
そこで選手たちに猛烈にプッシュした。
15~6歳の彼らは、選考されると、親の月給の何倍もの
お金をスポーツ省から支給される。学校も保障され、もはや巨人のドラ1位のようなもの。
しかし負ければ、待遇は下がり、最悪は退学。
勝てば、親の月給の何倍も。仮に日本の通貨感覚に例えると、月給が40万とすれば130万位がかかった試合だった。
勝利を掴ませたい僕は必死になり、プッシュしまくる。
煽って、罵声を飛ばしまくり、なんとしても勝つための雰囲気を作っていった。
そして迎えた当日。
持てる力を一切出せずに、無残に敗退。いつも簡単に勝っている選手にすらアッサリ負けた。
普段見せない弱気なショットに、覇気のない表情。ガッツポーズも弱く、完全に雰囲気にのまれていた。
そう。
彼が持っている実力以上のプレッシャーをかけ過ぎたのだ。
彼が戦っていたのは相手ではなく自分の内側から生まれてくる
・逃げ出したい衝動
・もうやめてしまいたい衝動
・負けた時に考える今後の自分
・もしテニスがなくなってしまったらと考えた時の絶望感
・賞金やコーチや家族の重圧
このプレッシャーに負けたのだ。
後に聞いた話だが、彼は試合中
1球ごとにボールを打つのが怖かった。
恐怖で足が震えていた。ボールが何個にも見えた。
冷静に考えたら、そりゃそうだ。
130万円がかかった試合は16歳には重すぎる。
能力以上のプレッシャーは「恐怖」でしかないのだ。
そこにはハングリーだからとか、恵まれているから、とか、そういう次元ではない。
先進国であっても、途上国であっても16歳はただの16歳なのだ。
僕たちは時にテニスウェアをまとったコート上で戦う子供たちを1人の選手として考える悪い癖がある。
でも中身は普通の小学生や中学生と同様に
ごく普通のマインドを持ち
ごく普通の優しさや
ごく普通のだらしなさ
ごく普通の気持ちの弱さ
ごく普通の親への甘えなどをもっている。
それを忘れて、当時の僕は勝利必勝主義
指導者の能力の優劣を決めるような「指導者代理戦争」のようになっていた。
勝たせることが選手にとって一番。
ここを乗り越えさせるのが、指導者の役目。
そう思っていたが、選手にとって一番なのは
自分だけを見てくれて自分だけをいつまでも応援してくれる存在なのだ。
それを忘れていた。
話しがぐるっと回って、元に戻すと
ハングリー精神は、僕はないと思っているしハングリー過ぎたり、プレッシャーが強すぎたりすれば
選手は常に「負けてはいけない」という恐怖と戦うことになる。
そんな恐怖と闘っている選手には決まって笑顔がない。
楽しめない。
なぜならば、スポーツではなく、戦争だからだ。試合が、死合になっている。
僕がしてきた失敗。
僕が才能の芽を摘んだきた数々の選手たち。
本当は多くの可能性があるあるかもしれない子供たち。
あなたなら、どうしますか?
追伸
もし、このブログを見ている君が、失敗した体験をもつ選手であれば
いくらでも僕の失敗談をきかせてあげる。33歳になってもまだ、誰よりも失敗を続けている。
君は何歳だ? まだ失敗を恥じる歳ではないよ。 失敗を前倒しにして、成長を加速させる時期が君の年齢にすることだ。
10年後、今の君の失敗など、恐らく覚えていないだろう。
今は大きな失敗かもしれない。自信をなくすかもしれない。
でも10年後の成長した君からすれば、それはきっと大したことはない壁だったと言えると思う。
Aもそんな時期があった。けど、乗り越えてきてる。確実に成長してきている。
もしかしたらテニスに打ちこむ意味は、そこに価値があるのかもしれない。
俺たちはいつでも君を応援している。
「なんでこんなに諦めるのが早いのか…?」
「食らいついてやる、という気持ちがないのか…?」
と心の中で30回以上つぶやいたことがある方には、ちょっと聞いて欲しい。
僕が失敗してきたことを。
「特にウチの子は、メンタルが弱い。あと一歩の競り合った場面で諦める… 途上国の子のように、この恵まれた環境の中でハングリー精神はどうやったら持てるんだろう?」
という会話が時おり聞かれるが、僕はこの意見に真っ向から異議を唱える。
なぜならば僕は青春の真っただ中、21歳から23歳までを
世界最貧国といわれるバングラデシュにいたからだ。
青年海外協力隊のテニス隊員として派遣された僕が
赴任したのは国立スポーツ学院。日本でいうナショナルトレーニングセンター。
経験の浅く右も左もわからない僕がナショナルチームのお手伝いからスタートした。
そこからせっせと下積みを行い、最後は運良くジュニアデビスカップのコーチとして選出してもらった。
そこでの選考会での出来事。
鼻息フンフン、ハリキリボーイの僕。
当然自分が指導する選手は勝ってほしい。
そこで選手たちに猛烈にプッシュした。
15~6歳の彼らは、選考されると、親の月給の何倍もの
お金をスポーツ省から支給される。学校も保障され、もはや巨人のドラ1位のようなもの。
しかし負ければ、待遇は下がり、最悪は退学。
勝てば、親の月給の何倍も。仮に日本の通貨感覚に例えると、月給が40万とすれば130万位がかかった試合だった。
勝利を掴ませたい僕は必死になり、プッシュしまくる。
煽って、罵声を飛ばしまくり、なんとしても勝つための雰囲気を作っていった。
そして迎えた当日。
持てる力を一切出せずに、無残に敗退。いつも簡単に勝っている選手にすらアッサリ負けた。
普段見せない弱気なショットに、覇気のない表情。ガッツポーズも弱く、完全に雰囲気にのまれていた。
そう。
彼が持っている実力以上のプレッシャーをかけ過ぎたのだ。
彼が戦っていたのは相手ではなく自分の内側から生まれてくる
・逃げ出したい衝動
・もうやめてしまいたい衝動
・負けた時に考える今後の自分
・もしテニスがなくなってしまったらと考えた時の絶望感
・賞金やコーチや家族の重圧
このプレッシャーに負けたのだ。
後に聞いた話だが、彼は試合中
1球ごとにボールを打つのが怖かった。
恐怖で足が震えていた。ボールが何個にも見えた。
冷静に考えたら、そりゃそうだ。
130万円がかかった試合は16歳には重すぎる。
能力以上のプレッシャーは「恐怖」でしかないのだ。
そこにはハングリーだからとか、恵まれているから、とか、そういう次元ではない。
先進国であっても、途上国であっても16歳はただの16歳なのだ。
僕たちは時にテニスウェアをまとったコート上で戦う子供たちを1人の選手として考える悪い癖がある。
でも中身は普通の小学生や中学生と同様に
ごく普通のマインドを持ち
ごく普通の優しさや
ごく普通のだらしなさ
ごく普通の気持ちの弱さ
ごく普通の親への甘えなどをもっている。
それを忘れて、当時の僕は勝利必勝主義
指導者の能力の優劣を決めるような「指導者代理戦争」のようになっていた。
勝たせることが選手にとって一番。
ここを乗り越えさせるのが、指導者の役目。
そう思っていたが、選手にとって一番なのは
自分だけを見てくれて自分だけをいつまでも応援してくれる存在なのだ。
それを忘れていた。
話しがぐるっと回って、元に戻すと
ハングリー精神は、僕はないと思っているしハングリー過ぎたり、プレッシャーが強すぎたりすれば
選手は常に「負けてはいけない」という恐怖と戦うことになる。
そんな恐怖と闘っている選手には決まって笑顔がない。
楽しめない。
なぜならば、スポーツではなく、戦争だからだ。試合が、死合になっている。
僕がしてきた失敗。
僕が才能の芽を摘んだきた数々の選手たち。
本当は多くの可能性があるあるかもしれない子供たち。
あなたなら、どうしますか?
追伸
もし、このブログを見ている君が、失敗した体験をもつ選手であれば
いくらでも僕の失敗談をきかせてあげる。33歳になってもまだ、誰よりも失敗を続けている。
君は何歳だ? まだ失敗を恥じる歳ではないよ。 失敗を前倒しにして、成長を加速させる時期が君の年齢にすることだ。
10年後、今の君の失敗など、恐らく覚えていないだろう。
今は大きな失敗かもしれない。自信をなくすかもしれない。
でも10年後の成長した君からすれば、それはきっと大したことはない壁だったと言えると思う。
Aもそんな時期があった。けど、乗り越えてきてる。確実に成長してきている。
もしかしたらテニスに打ちこむ意味は、そこに価値があるのかもしれない。
俺たちはいつでも君を応援している。