【佐藤】コーチとして大切な「見方」について
2022年11月11日
from 佐藤
僕は「みる」というのを
大切にしているつもりです。
見る、観る、診る、視る、看るって
いっぱいあります。
これは僕の考え方なので
「へぇ~」って思うくらいにして
反論はしないでください。
見る
これは通常時です。
とくに何かを考えていることはなく、
この何気ない「見る」から色んなことを察知していきます。
観る
全体を観察するってイメージですです。
観察、観賞、観光という言葉があるように
観ることで何かを感じ取ることです。
診る
表情や身体の動きをチェックするイメージです。
診療、診察という言葉があるように
診ることで健康や心理状態のチェックすることです。
視る
一点に集中するってイメージです。
注視、視察、凝視という言葉あるように
じっくり視て分析することです。
「観る」が全体だったとしたら、
「視る」は一部分に注視するイメージです。
看る
気を配るというイメージです。
看護、看病という言葉があるように
悪くならないように気を配ることです。
——————————-
日本語って便利なのか不便なのか・・・
「練習をみといて」とお願いしても
何を「みる」かで大きく変わってきます。
でも、ここまで「みる」ことに対して
細かく説明してお願いすることはありません。
これがズレると良い練習にならないので
一緒に仕事をする際には「見方」の相性はとても大切です。
僕がこれをどこで学んだかというと
明治生まれのおじいさんの戦争体験談からです。
明治、大正、昭和、平成を生きた
パワフル爺さんでした。
僕がお爺さんの話を聞くのが好きで
いつも縁側で日向ぼっこしならが話を聞いてました。
お爺さんのお爺さんは武士だったとか、ちょんまげしてたとか、
明治~昭和の変わりようが凄かった話とか
その話の一つが戦争体験談でした。
その戦争の話とテニスコーチに
何の関係があるのか?ってなると思いますが
相手の動向を視たり、仲間の状態を看たり
「人をみる」ってところがヒントになりました。
小学生のころは意味がわかりませんでしたが
大人になってから何となくわかってきました。
おじいさんに感謝です。
——————————-
「みる」といっても「見方」が違えば
入ってくる情報も変わってきます。
その「見方」を駆使して
僕は仕事をしています。
僕は「みる」というのを
大切にしているつもりです。
見る、観る、診る、視る、看るって
いっぱいあります。
これは僕の考え方なので
「へぇ~」って思うくらいにして
反論はしないでください。
見る
これは通常時です。
とくに何かを考えていることはなく、
この何気ない「見る」から色んなことを察知していきます。
観る
全体を観察するってイメージですです。
観察、観賞、観光という言葉があるように
観ることで何かを感じ取ることです。
診る
表情や身体の動きをチェックするイメージです。
診療、診察という言葉があるように
診ることで健康や心理状態のチェックすることです。
視る
一点に集中するってイメージです。
注視、視察、凝視という言葉あるように
じっくり視て分析することです。
「観る」が全体だったとしたら、
「視る」は一部分に注視するイメージです。
看る
気を配るというイメージです。
看護、看病という言葉があるように
悪くならないように気を配ることです。
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日本語って便利なのか不便なのか・・・
「練習をみといて」とお願いしても
何を「みる」かで大きく変わってきます。
でも、ここまで「みる」ことに対して
細かく説明してお願いすることはありません。
これがズレると良い練習にならないので
一緒に仕事をする際には「見方」の相性はとても大切です。
僕がこれをどこで学んだかというと
明治生まれのおじいさんの戦争体験談からです。
明治、大正、昭和、平成を生きた
パワフル爺さんでした。
僕がお爺さんの話を聞くのが好きで
いつも縁側で日向ぼっこしならが話を聞いてました。
お爺さんのお爺さんは武士だったとか、ちょんまげしてたとか、
明治~昭和の変わりようが凄かった話とか
その話の一つが戦争体験談でした。
その戦争の話とテニスコーチに
何の関係があるのか?ってなると思いますが
相手の動向を視たり、仲間の状態を看たり
「人をみる」ってところがヒントになりました。
小学生のころは意味がわかりませんでしたが
大人になってから何となくわかってきました。
おじいさんに感謝です。
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「みる」といっても「見方」が違えば
入ってくる情報も変わってきます。
その「見方」を駆使して
僕は仕事をしています。